立原あゆみWeb.

漫画家 立原あゆみのオフィシャルサイトです。

本気!

「本気!」全50巻 チャンピオンコミックス

週刊少年チャンピオンにて、1986年から10年のあいだ連載された立原あゆみの代表作。

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本気! 1巻(1987年 2月)

男は自己を失う事によって花を咲かせる、哀しい生き物です。
…動植物の世界においてもオスは、メスと子孫が生き残るために
命をささげる、そんな例も枚挙を問いません。
自分の心とは反対に人情より義理をとる…。あってはならない
戦争という暴挙の中でさえ男は義理をとるのです。
本気! 2巻(1987年 4月)

男は自己を失う事によって花を咲かせる、哀しい生き物です。
…動植物の世界においてもオスは、メスと子孫が生き残るために
命をささげる、そんな例も枚挙を問いません。
自分の心とは反対に人情より義理をとる…。あってはならない
戦争という暴挙の中でさえ男は義理をとるのです。
本気! 3巻(1987年 6月)

いろんな青春があっていい。
学問をつみ重ね、選ばれた人になってゆく青春。
そしてまた趣味に走る青春…。
時には極道の道にゆく青春だって、あっていいのです。
“青春”っていう言葉と同じ意味を持つ言葉をひとつ選ぶとしたら
“真摯”という言葉を選びます。真摯、つまり本気!
青春の次に来る季節を教えましょう。朱夏-あかい夏-といいます。
本気! 4巻(1987年 8月)

いろんな青春があっていい。
学問をつみ重ね、選ばれた人になってゆく青春。
そしてまた趣味に走る青春…。
時には極道の道にゆく青春だって、あっていいのです。
“青春”っていう言葉と同じ意味を持つ言葉をひとつ選ぶとしたら
“真摯”という言葉を選びます。真摯、つまり本気!
青春の次に来る季節を教えましょう。朱夏-あかい夏-といいます。
本気! 5巻(1987年 10月)

いろんな青春があっていい。
学問をつみ重ね、選ばれた人になってゆく青春。
そしてまた趣味に走る青春…。
時には極道の道にゆく青春だって、あっていいのです。
“青春”っていう言葉と同じ意味を持つ言葉をひとつ選ぶとしたら
“真摯”という言葉を選びます。真摯、つまり本気!
青春の次に来る季節を教えましょう。朱夏-あかい夏-といいます。
本気! 6巻(1987年 12月)

裏の世界で生きる人達を賛美する気持ちなど毛頭ありません。
ただ誰でも、男の胸の中任侠の気持ち、巣喰ってると
思っています。愛国、憂国の情などという言葉さえ、
苦笑される今の世の中、男気だけはひっそりと
爪といでおきたいと願っています。
本気! 7巻(1988年 3月)

裏の世界で生きる人達を賛美する気持ちなど毛頭ありません。
ただ誰でも、男の胸の中任侠の気持ち、巣喰ってると
思っています。愛国、憂国の情などという言葉さえ、
苦笑される今の世の中、男気だけはひっそりと
爪といでおきたいと願っています。
本気! 8巻(1988年 4月)

-失うものがなくなった時、男は強くなれる-。
それはうそです。そんな事で“死”まで突っ走るのは、
単なる自暴自棄愚かな行為でしかありません。
男はてめえの背中に、かくして守る物が
あるから強くなれるのです。
-強い男は、背中で守る物のため、自分を失ってゆきます。
何かにほれた男は、いつの世でもマゾヒストです。
本気! 9巻(1988年 7月)

-失うものがなくなった時、男は強くなれる-。
それはうそです。そんな事で“死”まで突っ走るのは、
単なる自暴自棄愚かな行為でしかありません。
男はてめえの背中に、かくして守る物が
あるから強くなれるのです。
-強い男は、背中で守る物のため、自分を失ってゆきます。
何かにほれた男は、いつの世でもマゾヒストです。
本気! 10巻(1988年 9月)

この世には種々の悪が存在します。どれもが人の欲、自分さえ
よければという欲が、引き起こしているような気がします。
でも真の欲は、一生・一度をどう美しく生きるかという事。
富でもなければ、虚名でもないのです。
汚(けが)れなく生きる事に、だれもが憧れているのですから。
本気! 11巻(1988年 11月)

この世には種々の悪が存在します。どれもが人の欲、自分さえ
よければという欲が、引き起こしているような気がします。
でも真の欲は、一生・一度をどう美しく生きるかという事。
富でもなければ、虚名でもないのです。
汚(けが)れなく生きる事に、だれもが憧れているのですから。
本気! 12巻(1989年 2月)

恋に流す涙 恋水(こいみず)といいます 恋が水になって
流れてしまって 人は過去を 忘れるのでしょうか
泣いて 泣いて 泣きつくして もう流す涙さえ 
なくなってしまって 空っぽになって もう生きる事さえ 
わからなくなる
だからでしょうか ナキガラという 言葉があります
本気! 13巻(1989年 5月)

恋に流す涙 恋水(こいみず)といいます 恋が水になって
流れてしまって 人は過去を 忘れるのでしょうか
泣いて 泣いて 泣きつくして もう流す涙さえ 
なくなってしまって 空っぽになって もう生きる事さえ 
わからなくなる
だからでしょうか ナキガラという 言葉があります
本気! 14巻(1989年 8月)

希望とは、希(まれ)な望みと書きます。
未来とは、未だ来たらずと書きます。
夢さえも、やがて一瞬の男気に
生きたいと思います。
希望も未来も夢も、不確かなものだとしたら、せめて
ひとつの形容詞を冠にしましょう。
色あせぬ希望。色あせぬ未来。色あせぬ夢。
また、くたびれるくらい待っても 色あせぬ青春を…。
本気! 15巻(1989年 11月)

希望とは、希(まれ)な望みと書きます。
未来とは、未だ来たらずと書きます。
夢さえも、やがて一瞬の男気に
生きたいと思います。
希望も未来も夢も、不確かなものだとしたら、せめて
ひとつの形容詞を冠にしましょう。
色あせぬ希望。色あせぬ未来。色あせぬ夢。
また、くたびれるくらい待っても 色あせぬ青春を…。
本気! 16巻(1990年 1月)

人それぞれ、美学を持っています。
いや、人間の行動、想い、すべてが美しい事のように思うのです。
前に出る事も、後ろに引く事も、みんな美しい行為、
想いなのです。
行為、想いと書きました。このふたつが、相反する場合も、
もちろん数多くあります。
君は、行為の美学をとるか?
想いの美学をとるか?
本気! 17巻(1990年 4月)

人それぞれ、美学を持っています。
いや、人間の行動、想い、すべてが美しい事のように思うのです。
前に出る事も、後ろに引く事も、みんな美しい行為、
想いなのです。
行為、想いと書きました。このふたつが、相反する場合も、
もちろん数多くあります。
君は、行為の美学をとるか?
想いの美学をとるか?
本気! 18巻(1990年 7月)

人それぞれ、美学を持っています。
いや、人間の行動、想い、すべてが美しい事のように思うのです。
前に出る事も、後ろに引く事も、みんな美しい行為、
想いなのです。
行為、想いと書きました。このふたつが、相反する場合も、
もちろん数多くあります。
君は、行為の美学をとるか?
想いの美学をとるか?
本気! 19巻(1990年 10月)

人にとって、自由を失うときが一番の苦しみという
意味なのでしょう。
罪を犯した人々の自由を奪うため、獄につなぎます。
つらい何年かを過ごしたはずなのに、懲りない人々は、
又、罪を犯します。
肉体の自由を奪う事には耐えられるという意味なのでしょうか。
方を越える喜びが肉体の自由を越えるのか。悪の細胞は
滅びないものなのか、憂いながらも…。
決して想いの自由を奪われてはなりません。
本気! 20巻(1990年 12月)

人にとって、自由を失うときが一番の苦しみという
意味なのでしょう。
罪を犯した人々の自由を奪うため、獄につなぎます。
つらい何年かを過ごしたはずなのに、懲りない人々は、
又、罪を犯します。
肉体の自由を奪う事には耐えられるという意味なのでしょうか。
方を越える喜びが肉体の自由を越えるのか。悪の細胞は
滅びないものなのか、憂いながらも…。
決して想いの自由を奪われてはなりません。
本気! 21巻(1991年 4月)

人は永遠に愚かなのでしょうか?
また戦争をひき起しました。
自分だけにかかわる事なら、自分だけが卑しめられ、
辱められるなら引く事も可能なのでしょうが、
守るもののため、戦いを起こします。
きっとそれを大義とよぶのでしょう。
大義は人間のつくった一番愚かなものでしょうか?
本気! 22巻(1991年 5月)

本気が映画になりました。
東映作品です。
読書の情熱が、出版社の情熱が、映画関係者の情熱が
ひとつの潮(うしお)になりました。
是非、観てください。
きっとそこには、本気を通して知りあった、
ぼくと読者達との潮騒が聞こえると思います。
本気! 23巻(1991年 6月)

これで23巻になります。
よくぞ描いてきたという思いと一緒に、
まだまだ描ききれない思いが、重なります。
人を愛する事が、辛い事であるはずないのに、
時として、悲しみはつきまといます。
でも…。
愛する事が産む悲しみなら、悲しみもまたいい…。
本気! 24巻(1991年 8月)

合掌…。
本気! 25巻(1991年 10月)

人が学ばなければいけない事はいくつもあるのだけれど、
時には、一番美しい想い出や、一番大切な人を、憎む事を
学ぼうとする事。
それを、別れと言います。
本気! 26巻(1991年 12月)

組織とは、個人の足りない力を補いあい、それ以上の力を
求める事です。人は一人では弱い事の証明ではありますが、
すべての生物、群れあう事でその種が存在します。
動植物が単体では、命と呼ばないとしたら、
人もまた、単体では成り立ちません。
地球上の人間、すべてが手を取りあえば、それは大きな命。
本気! 27巻(1992年 1月)

組織とは、個人の足りない力を補いあい、それ以上の力を
求める事です。人は一人では弱い事の証明ではありますが、
すべての生物、群れあう事でその種が存在します。
動植物が単体では、命と呼ばないとしたら、
人もまた、単体では成り立ちません。
地球上の人間、すべてが手を取りあえば、それは大きな命。
本気! 28巻(1992年 4月)

久美子の病気を白血病とは一度も書きませんでした。
この物語を描き始めたときは、不治の病と言われていたからです。
でも、今、骨髄移植という治療法も生まれ、患者が救われる
ようになりました。そして、より多くの患者が救われるよう、
骨髄バンクが設立されました。
移植の前提となる提供者(ドナー)と患者のHLA(白血球の形)
が適合しなくてはならないからです。
ドナーが5万人になれば、8割の患者に適合がみつかるのです。
本気! 29巻(1992年 6月)

不治とされた病が不治でなくなった感動は、患者さん
その親族以外、我々にとっても大きな喜びです。
今、始まったばかりの日本における白血病、骨髄バンクが
欧米のような実績をつくっていく事、心待ちにしています。
本気! 30巻(1992年 9月)

人は一瞬の瞬きの時の中、生きて死にます。
この一瞬の生を大切に生きる人もいます。
自然のすべても一瞬の生を生きます。
人とひとつだけちがう事は、つまらなく生きる自然は
ないという事。
本気! 31巻(1992年 12月)

飛行機事故も、飢餓で亡くなってく子供たちの事も、
どこやらの地震で亡くなった人々の事も、自分から遠い命の事と
冷静にニュースを見ます。
この冷たくて静かだという言葉に、切なさを感じます。
自分の身近な命の事なら、人は熱く動くのに……
遠い命にも熱動したい。
本気! 32巻(1993年 2月)

失われてゆくものに、人は拍手をためらいます。
失われてゆく自然
失われてゆく生命
失われてゆく若さにも
…でも、立原は失われてゆく時間に拍手を送ります。
努力した時間なら、過ぎてゆく時間、すべて美しく、
恋しいのです。
本気! 33巻(1993年 4月)

青春(青い春)の次ぎに来る言葉は朱夏・朱(あか)い夏と
以前書きました。
次ぎに来る季節は、もちろん秋。
白秋といいます。
『本気!』の物語も白秋に足を踏み入れたように感じています。
白秋の次ぎに来る冬。
冬は何色なんでしょう?
本気! 34巻(1993年 6月)

『本気!』を見て骨髄バンクに登録した読者がいます。
それだけでも、この漫画が存在した意味があったと
感動しています。
全世界、移植の事故は(それも麻酔による)たった二例、
恐れる事は何もありません。
立原あゆみもバンクに参加します。同志よ。心優しき人よ奮え。
本気! 35巻(1993年 9月)

天体望遠鏡を買いました。小学生の頃みた土星の輪、
またみました。変わらず土星の輪がありました。
肉眼で土星の輪を見る事、おすすめします。
たしかにあるんです。とうに知ってる事なのに
どうしようもなく感動します。知識として知っていても
実感のないもの、他にもたくさんあると気付きました。
人の心だって、まだまだ……。
本気! 36巻(1993年 11月)

心とは、コロコロ変わるからココロと言うと、昔聞きました。
ローリングストーンって知ってるね。“転がる石に苔つかず”。
いつもきれいだって意味だと考えたら、心変わりする事も、
きれいな事かもしれないね。
本気! 37巻(1994年 2月)

人が平和を願うのは、先に未来があるからです。
命が命を受け継いでいく事へのあこがれ……。
人としての種が存続していくための平和を望んでいます。
レッドデータの動物たちは、どのように滅んでいったのか、
そんな事が頭をよぎります。
あれだけ賛否大騒ぎしたPKOさえ、記憶から薄れています。
人類が、また一歩レッドデータに近づきます。
本気! 38巻(1994年 4月)

何年か前、佐渡を旅しました。かつて流刑の島であった事が、
一番の興味でした。
ここから抜け出られた人は、
どのくらいいるのだろうかと日本海を見つめました。
小舟での脱出は、それはつらい道のりだったろうと…。
流人たちの刑罰。今の法なら、まったくの無実だった事も
数少なくないはずです。
今の法も、やがての無実を多く裁いているかもしれません。
本気! 39巻(1994年 9月)

夢がいつかさめるものなら、悲しい現実は
眠れば消えるのかもしれません。
何度もの眠りの中、少しずつ忘れてゆきます。
そして、想い出になります。
本気! 40巻(1995年 1月)

青い春、朱(あか)い夏、白い秋。3つの季節の色
紹介しました。次ぎに来る冬。冬の色は黒です。
黒、そのまま使わず黙冬(もくとう)といいます。黙る冬です。
死を意味するのでしょうか。
この言葉、お伝えするという事は「本気!」
の終結も近いという事でしょうか。
本気! 41巻(1995年 3月)

辛いという字は
もうちょっとがんばれば
幸せって字になると
教えられました。
しばし感動……気が付かなかったね。
忙しいという字は
心(りっしんべん)を亡うと書くね。
立原は忙しいです。
本気! 42巻(1995年 5月)

満天の星空という言葉があります。
常識として、空を見上げて、
全部の星、数えられないなんて思います。
でも、肉眼で、見える星たちは約3千個。
それじゃ、数えられるじゃん。
満天の星が、数えられる時間が
自分たちにあるとしたら、
一生の間、何か意味ある事
できるような気がします。
本気! 43巻(1995年 8月)

ゆうべ見たテレビの中で、アマゾンの漁師の言葉、
深く感じました。
“夢は?”の問いかけに
“漁をして、命を奪ってきた自分に幸せなどこない。”
“このまま、漁を続け、ここで死んでゆく。”
人は生きる事で罪を重ねているのでしょうか。
本気! 44巻(1995年 10月)

さんずいに毎と書いて海。水と音をしめす毎とをあわせて
深い水をあらわすと聞きました。
毎は、草の芽と母(子を産み増やす)
草がさかんに増える事、次々とふえていく意もあります。
海の毎は次々と産まれる潮騒をさしているようにも思えます。
さんずい(水)に毎で海。
なのに、人に毎をつけると、侮(あなど)る になります。
なんか悲しいね。
本気! 45巻(1995年 12月)

傷ついた人が、あてのない旅をゆくとしたら多くの場合、
北をめざします。
北帰行。(立原は少なくともそうです。)
何故なのかな。温度が下がる方へ行く事で心の冷たさが
薄まるのか。極に近い方へ引かれるのか。
だとしたら、地球の反対に住む傷負い人は南帰行するので
しょうか。
本気! 46巻(1996年 2月)

立原もひどいいじめられっこでした。小学校4回・中学校2回の
転校のせいか、立原の性格のせいなのか。友人をこわいと思う
気持ちからか、未だ何人かの親友しかおりません。
立原は死を選びませんでした。「いつか!」という言葉を
胸の中で唱えながら大人になりました。
いじめた友人のフルネームを今でもいえます。
でも、ひとつだけ違った事は「いつか、しかえしを…」が
「いつか、本当の友人に…」に変わっています。
もうひとつ、「たくさんの友人を持ってるという人は、
ひとりもいないのと同じだ!」えらーい人の言葉です。
本気! 47巻(1996年 4月)

森を取材中、雪の道を見つけました。
それは、ふいに冷たい風と共に、はるか前方からやってきました。
何かがやってくる。目をこらす私の眼前に雪の粒が、ふいに
あらわれたのです。
雪にも道がある。それは、新しいおどろきでした。
すべての物に道がある。もう一度くりかえす日々です。
本気! 48巻(1996年 7月)

カバーの風景は
もうありません。
渚橋のモデル船橋も
十年のうち変わりました。
本気! 49巻(1996年 9月)

マジの語源は真面目からきたのでしょう。
真(しん)の面(ツラ)と目(め)。“マジ”という若者言葉が
流行った頃多くの場合、疑問符をつけてつかわれていました。
“マジィ?” 本当の事なのか? うそだろうというように。
立原はその疑問符を感嘆符に変えました。
!(ビックリマーク)です。真の面と目、それに気持ちを
加えました。そこで、ぶちあたった文字が本気でした。
今やマジという言葉、多くの人が本気と書きます。
立原がつくった、たったひとつのもの…そう記しておきます。
本気! 50巻(1996年 11月)

長い時間、自分の夢をおしゃべりしてたような気がします。
長い時間、読者(トモダチ)の夢を聞いていたような気も
しています。まだまだ語り足りないのですが、次の夢のため
「本気!」は完です。
この作品を通じてトモダチになった、決して顔をみる事もない
読者にまた逢いたい想いで一杯です。ね、必ず再会しましょう。
待ち合わせじゃなく運命みたいに出逢えたらいいね。
いつか どこかで 偶然に……。